世間は、というか、テレビニュースでは、
知床の遊覧船の事件と、山道で行方不明になった女の子の身元捜査の進展が、トップ1、2を争う感じで、報道が加熱している。
そして、普段は、テレビニュースをまともに見ない私なので、今年のGWは、外出に制限が設けられていないことを、GW中に知る(時、すでに遅し)。
ニュースを見ていると、いろんな命の終わりがあることを突きつけられてしまい、なんだか勝手に、
面食らってしまう。
突然の事故に、災害に、事件に、自殺に。
命の終わりを決めることはやろうと思えば自分の手で、できてしまったり、命の終わりをとある出来事でスパンと決められたりしてしまうこともある。
今のところ、私は生老病死という四字熟語の、
「病」からの「死」という順序で、私自身もいつかは病で死ぬんだろうと勝手に思ってしまっている。明日どうなるかなんて、誰にもわからないのに、勝手にそう思ってしまっている。今日だって大阪は地震があったし、もしそれが大きな地震だったら(今回の地震も我が家にとっては、非常に大きな揺れではあったのだが)と思うと、
もうその先は想像ができない。
真っ暗になる。
私の人生において一番避けて通りたいものに“身体的痛み”があるというのに、
私は、勝手に病で死ぬことを夢見ている。
病の大半が痛みを伴うというのに。
もうじき27歳が終わり、28歳になるというのに、
私自身は本当に身勝手に、生きている。
こんなんでいいのか?と自分に突っ込まなくもないけれど、だからといって、こんな生きていて突然のアクシデントもあり、病もあり、もしかしたらの事件や事故もあり、しかも、世界のどこかでは戦争が今なお終わることなく続くという惨劇をまざまざと見せられると、
やはり生きたいように、生きたい。
望まぬ苦しみなく、生きたい。
そして、自分が親しみを持って愛する人との平穏無事な日常だけで、それだけで心は満たされるから、だから、それだけでいいからって思ってしまうんだよねー。
2022年って、難しいな。