🚨この記事には小説『アーモンド』と『コンビニ人間』の内容を含みます🚨
最近読んだ小説なのに、
主人公の名前をもう忘れている。
それに、その主人公の友人の名前も。
おそらく、
馴染みのない韓国人の名前だったからだろう。
小説『アーモンド』を、つい先日、読み終えた。
作中の登場人物で唯一名前を覚えているのが、
主人公の母ジウだ。
主人公の祖母の反対を押し切り、
その期待も裏切り、
彼女が手にしたのは、
感情表現に障害を抱える我が子。
その子こそ、主人公なのだが、その名前が全く思い出せない(どちらかというと、主人公の友人の名前にガ行のどれかが入っていたことの方がまだ思い出せる)。
ジウは顔の合わせようのない母に、自分の名前を含めてけちょんけちょんに貶されていたので、
だから、私は彼女の名前を覚えている。
この小説は、
映画監督であり、シナリオ作家である著者の力量が発揮された物書きで、
緩急の“急”にあたるシーンでは、
如実に映像が立ち上がってくる。
そして、そのシーンを、まさしく私も見ている、
体感しているのだ。
ハルモニが殺されて血飛沫が窓に飛び散り付着する光景を、主人公とともに傍観する私。生死の狭間を彷徨い、そこから内面の変化を覚えた主人公とともに、息を吹き返す私。
話のテンポもよく、
ページをめくるのが苦ではない。
なので、あっさりと読み終えた。
ただ、物語自体は非常に重量感がある。
あと、読んでいて面白かったのが、
物語の前半と後半の要となるシーンが、
対比構造で描かれていたこと。
最初に人の生死を見守っていた主人公が、
人にこだわるようになる最後。
他人の母に抱かれる前半と、
本当の母に抱かれる後半。
そういえば、『コンビニ人間』もそうだっなと浅い読書歴から、ふと思う。