🚨この記事は映画『しん次元!クレヨンしんちゃん』のネタバレをしながらの感想文です。その点を踏まえて、読むか読まないかを決めてください🚨
なんだかんだで、しんちゃんが好き。
しんちゃんの生き方が好き。
今年の夏も、しんちゃんの映画を見て過ごすということは、もうこれは、私の夏の風物詩といってもいいのかなと思う。
そんなこんなで、お盆初日は、
絶対に、映画クレヨンしんちゃんを見ようと決めていた。
去年の映画『〜もののけ忍者珍風伝』にて、
エンドロール後恒例の次年度の予告で動き回るCG姿のしんちゃんを見て、
「これは見に行かなあかん」
と、のっけから期待が乗っかっていた今作。
🚨こっからネタバレを含んだ私的感想文!
🚨ネタバレOKで読んでもいい人だけ、どうぞ!
(それでは👍)
やたらと重たかった印象。
映画のサブタイトルにもありますが、しんちゃんと超能力大決戦をする相手・非理谷充(声・松坂桃李さん)が、暗黒のエスパーとしてその力を行使する背景が、
色々と暗い😨😨😨
覚えている限りだと、
「日本の未来は暗いだの云々間何」「将来、お先真っ暗。生きていたって仕方ない」
あとは、彼自身の家庭環境と、
いじめによる性格の形成。
そして、そんな未来なき若者を利用して世界征服を目論むヌスットラダマス2世。
それを踏まえながら、映画を見ていて、
これは、しんちゃんを楽しみに映画を見に来たしんちゃんと同年代の子供たちがいたとして、
楽しくなるのかな?ということ。
そもそも、クレヨンしんちゃん自体が青年漫画雑誌出発で、どっちかというと大人向けのものだったっていうのも分かっているし、アニメになってその長い歴史の中で、小さい子にも愛されるものになったのも知っているし、大人も感動してしまう要素があるのも知っている。
だから、しんちゃんが「どの年代の人たちのアニメだ!」って言うのは個人的にもないんだけれど、
それにしても、物語を進める根幹が、
29歳の私でも気がひける内容で、終始進むので、
「しんちゃんと同じ子供たちにとって、これは、どうなんだろう?」と気がかりだった。
また、途中でしんちゃんが非理谷のいじめっ子たちと対峙して暴力的にやられるシーンがあるのだが、
このシーンも正直にいうと、
「なんだかな」って言うところだった。
わざわざ、これをCGで見せるわけはなんだろう。
アニメと違って、CGはより直接的に感じられるからこそ、しんちゃんの立ち向かう痛みを共有できるってことなのかな?
でも、それが、たとえ非理谷の記憶の中での話であっても、
5歳児が中学生3人組にコテンパンにされかける姿は、後味が悪いと言うか、気が引ける。これと似たシーンは、非理谷が双葉幼稚園で立てこもり事件を犯したときにもあって、彼がよしなが先生とカスカベ防衛隊に力を行使した時にも感じた気味の悪さ。
力を行使する人間の、自分より相手が弱者だというその判定。それゆえの、力の行使は見ていて
気分が悪かった。
そして、一番の違和感は、中学生にやられるしんちゃんを見守るしかない、母親のみさえが「しんちゃん、(立ち向かわなくて)もういいのよ」的なことを言うだけだったところ。
え????
「お前ら、うちのしんのすけに何すんねん?」って、蚊帳の外でも殴りかからないの?
だって、3対1で、5歳児がやられているんだよ?
明らか、あいつらが悪いし、いつもの母ちゃん・みさえだったら鼻息蒸して、まずは、あいつらじゃないの?!
なんだか、今作は、5歳児のしんちゃんに頑張る姿を背負わさせ過ぎている気がした。
しかも、自分よりも明らか年上の非理谷に「(きみは)仲間なんだよ」って声をかけるのも、どうしたものかと思った。
しんちゃんが好き。
しんちゃんがしんちゃんであるように、まっすぐ生きる、その生き方が好き。
でも、やっぱり5歳児なんだなって言う、
しんちゃんが好き。
そんなしんちゃんに、ぼくは、笑ったり、背中を押されたりしてきたのだろう。
でも、だからって「未来が暗くても、仲間だから、頑張ろう」って、しんちゃんはべつに言わなくてもいいんだよ。
だって、しんちゃんは、まだ5歳なんだから。
そこは、ひろしとみさえが言っていたように、
大人ががんばることなんだから。
しんちゃんは、のびのび、健やかに、
子供たちは、のびのび、健やかに、
過ごせるように、大人ががんばるんだから。
しんちゃんに、余計なものを背負わさないで。